@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

『ピノキオ』Disney +

 

ピノキオ』Disney +

風変りなおじいさんのゼペットは、ひとり孤独に暮らしていた。ある晩、ゼペットが作った木彫りの人形ピノキオに、妖精ブルー・フェアリーが魔法をかけたことで命が宿る。本物の人間の子どもになりたいと願うピノキオは、コオロギのジミニー・クリケットに導かれながら成長していくが、純真無垢であるがゆえに、さまざまな誘惑や試練に直面する。そんなピノキオが、ゼペットの子どもになりたいという願いをかなえるため、困難が待ち受ける冒険の旅に出る。

 

 劇場公開の作品だったがストリーミング限定になったらしい。もともとポール・キング(『パディントン』)が監督の予定だったらしいがそっちも観たかったな。ロバート・ゼメキストム・ハンクスに頼まれたらしいが(インタビューではトム本人がゼメキスにゼペットやらせてほしいと頼んだと言っていたの真実は謎)、個人的にはトム・ハンクススティーブン・スピルバーグじゃなくてロバート・ゼメキスに頼んだのがポイントだと思う。そしてピノキオの題材はゼメキスにぴったりだと思う。私はゼメキスとは腐れ縁みたいな関係なのでどんな作品も公開されたら見るし楽しみだし、おそらく何かしらの文句を言うと思う(笑)まあ全部『フォレスト・ガンプ 一期一会』と『ポーラー・エクスプレス』のせいだ。


 超絶実写(フィガロ、ジミニー・クリケットクレオ)とアニメ人形(ピノキオ)実写、そして人間が同じ画面に登場し、カオスな映像が続いていくんだけど、まあゼメキスだからなって感じで許容できる。


 どうしても比べてしまうのが去年公開されたイタリアの『ほんとうのピノッキオ』と今年NETFLIXで公開されるギレルモ・デルトロの『ピノッキオ』(たぶんこっちのほうが面白い)なんだけど、やはりどうしてもディズニーのほうが商業主義が漂ってきてどうにも受け入れられない。しかも発音もピノキオだしさ。


 トム・ハンクス(大好きなのでファン目線になるのは許して欲しい)が珍しく歌う。(『幸せへのまわり道』的な感じで) 地声なので歌っているより語ってると表現したほうがいい気がする。まあ爺さんが歌上手かったら違和感だからまあね。『ポーラー・エクスプレス』でも歌っていたので、ゼメキスに頼まれればなんでも挑戦するのでしょう。歌がヘタクソなのも正直他の役者を際立たせるためかと言いたくなるくらい、他の役者が全員芸達者。シンシア・エリヴォ(青い妖精)とジョセフ・ゴードン・レヴィット(ジミニー・クリケットなのに歌わない?)、キーガン・マイケル・キー(キツネ)とルーク・エヴァンス(彼が歌うのはたぶん映画オリジナル)が凄い。

 ぱっぱと物語が展開していくのでそこは良い(悪く言えば展開が強引だ)。内容は全く目新しさないけど、まあディズニーの実写作品はお話より映像を見るものだと思っているので個人的には満足です。映画の内容は子どもへの教訓とか説教みたいな話なので(社会の役に立ちなさい、親の役に立ちなさい的な)、そこにディズニー映画お得意の父子の愛の物語が強調される感じ。(ゼペットの昔息子を亡くしたみたいなストーリーが強調される。)

 

 それでも映像とかは凄い。ゼメキスの恐怖演出が存分に生かさせるルートピアのシーンはやはりすごい(アニメ版でもすごかったけど)、というかこのシーンだけやたら『ポーラー・エクスプレス』の北極点のシーンを思い出すし、このシーンだけでも価値ある。一体何人の子役を雇ったんだ。


 そして最後はピノキオが人間になったシーンはやらない。というかナレーションにまかせていて、人間になったのかどうかは観客に委ねている。まあ人間になれば幸せかと聞かれればそうでもないからね。でもピノキオが人間にならないとゼペットの異様さが際立つのでそれはどうなんだろう。あっでもゼメキスの前作『魔女がいっぱい』でも主人公の少年はずっとネズミのままだったな。たぶん人間に興味なくなったのかな。というかこの映画はあらゆる意味で『魔女がいっぱい』だな。物語を物語で語る映画って感じだ。

 

 あとイタリア語訛り風英語はやめてください。