こういう友達アメリカにはいるだろうけど、映画として観るにはあまりにも都合が良すぎる存在...
『Our Friend アワー・フレンド』
「Esquire」誌に掲載され、全米雑誌大賞を受賞したエッセイの映画化。2人の幼い娘を育てながら、懸命に毎日を送っていたジャーナリストのマットと妻のニコル。しかし、ニコルが末期がんの宣告を受けたことから、家族の日常は一変する。妻の介護と子育てによる負担が重くのしかかるマットに救いの手を差し伸べたのは、2人の親友デインだった。生きる希望を失いかけていた時に、マットとニコルから心を救われた過去を持っていたデインは、2人を手伝うため、ニューオリンズからアラバマ州の田舎町フェアホープまで車を走らせ、ティーグ家に住み込んで彼らをサポートすることになるが……。監督は女性のガブリエラ・カウパースウェイト。
雑誌に掲載されたコラムを元に映画化したそうです。コラムを書いたのがまずマットなので、ほとんど一方的にマットの視点でのみ語られるので、デインとニコルの視点があまりない。そのため終末期に入ったニコルが何を想い考えていたのか分からず、また夫婦を助けたいデインの肝心の人生やなぜ二人を助けたいのかの表現が薄いと思う。またニコルの余命宣告を子どもたちにした日付から遡ったり先に進んだりする複雑な時系列で進む映画なのだが、正直こういう映画ではそういう時系列の進め方をするのは良くないと思う。正直この演出の意味が分からなかった。それでも終末期に入った癌患者の描写はかなりリアルだと思う。この辺は役者陣の演技の賜物だと思った。
また後は好みの問題だと思うが、個人的にこういう余命系の映画が好きじゃないので、「こういう映画は好きじゃない」としか言いようがない。全体的に感動するし、よく出来ていると思うがそれでも個人的に好きじゃないのだ。
あと過去にしたセクハラを示談にしたことが#MeTooムーブメントの中で公になったケイシー・アフレックが出ているが、普通に出れるんだなと思った。まあダコタ・ジョンソンが出演しているから観に行っただけだが、ケイシー演じるマットに一方的に語られつくされる妻のニコルをダコタが演じるのを観ていて辛かった...