@GB19940919’s diary

GB(https://twitter.com/GB19940919) (twitter→GB19940919)の映画感想雑記です。劇場で観た映画からWOWOWやサブスクで観た映画やドラマの感想です。

午前十時の映画祭14『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』

 

午前十時の映画祭14『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』 (Indiana Jones and the Last Crusade) [1989年アメリカ]

 

1938年。考古学者インディは富豪ドノヴァンから、キリストの血を受けた聖杯の捜索を依頼される。最初は渋っていたインディだったが、行方不明になったという前任者が自分の父ヘンリーだと知り引き受けることに。ベネチアで父の同僚シュナイダー博士と合流したインディは、父から託された聖杯日誌を頼りに、聖杯の在り処を示す手掛かりをつかむが……。監督はスティーブン・スピルバーグ。出演はハリソン・フォード/リバー・フェニックス(インディ・ジョーンズ)、ショーン・コネリー(ヘンリー・ジョーンズ)、ジョン・リス=デイビス(サラー)、デンホルム・エリオット(マーカス)ほか。

 

 先週に引き続き初日で観たけど、やはりというか当然というか、客が私を含めて6人くらいしかいなかった。TOHOというか午前十時の映画祭運営側がミニシアターか独立系の映画館を狙って上映かけたほうが絶対いいよ。

 

 3作目は意図的に西部劇というか、インディ・ジョーンズで西部劇をやりたかったんだということは分かる。そもそもインディ・ジョーンズが現代にいるカウボーイという設定なわけで。そして不在だった父との関係を埋めるように、さすらう父と息子が和解するのも西部劇らしい。どんな関係であれ父親を描かずにはいられない、それがアメリカ映画だ。ラストも昔ながらの西部劇ふうで、地平線を追う4人組だが、それがインディ以外はあんまりマッチョじゃない男たちというのがスピルバーグの良いところだ。

 

 あの地平線のシーンは『フェイブルマンズ』を観た後だど、感じるものが違ってくる。『フェイブルマンズ』では、スピルバーグの分身であるサミーがジョン・フォードに「地平線が上にあるのは良い、下にあるのも良い。真ん中にあるのは死ぬほど退屈だ」と叱咤されるシーンがあるが、ちゃんと本作での地平線は画面の下にあり、ちゃんとジョン・フォードの言いつけを守っていたのだと分かる。あと『フェイブルマンズ』に出てたキリストと神にある種の性愛を抱いていたあの女の子は本作におけるシュナイダー博士のモデルだったことも分かった。

 

 1作目と2作目の例にもれず本作も撮影とセットが凄くて、冒頭の少年時代の時代のシーンだけで、あの列車や船のセット組んだのか。オーストリアで父親救出、ドイツからジャンボ機で脱出するも、結果的に小型飛行機で逃げる、という一連の流れが面白すぎる。

 

 子どもの時は本作が一番微妙だったのだが、確かに聖杯探しとかテーマが漠然とし過ぎて良く分からなかった。ただ聖杯っていうのは本当にあって不老不死になるんだって子供心ながら本気で信じていたので、それくらい説得力のある演出がある映画なのだ。またこうして映画館で観れて良かった。

 

『プリシラ』

 

プリシラ』 (Priscilla) [2023年アメリカ・イタリア]


14歳の少女プリシラはスーパースターのエルビス・プレスリーと出会い、恋に落ちる。やがて彼女は両親の反対を押し切って、大邸宅でエルビスと一緒に暮らし始める。これまで経験したことのない華やかで魅惑的な世界に足を踏み入れたプリシラにとって、彼のそばでともに過ごし彼の色に染まることが全てだったが……。監督&脚本はソフィア・コッポラ。原作はプリシラプレスリーの『私のエルヴィス』。出演はケイリー・スピーニー(プリシラ)、ジェイコブ・エロルディ(エルヴィス)ほか。

 

 ウェス・アンダーソンソフィア・コッポラって私の中で同じ箱に入っているのですが、本作でソフィア・コッポラが一歩出てきてくれたというか、純粋に良いと思った。そりゃそもそも彼女の方が女性を主役にするし、かつ男性もよく描けているので好きな要素もある。ただ相変わらず主人公以外の周囲の人間の描き方が薄いし、人種や階級については相変わらず無頓着だ(どう考えても本作で一番魅力的なのは、エルヴィスの祖父と家事手伝いのアルバータだ)。人種やジェンダーの描き方を無視して、このストーリーが良いか悪いかを決めて、そこから「前より良い作品を作った」と評価されること自体、作家としてかなり甘やかせるけど(圧倒的にこういうのは白人男性の監督が多いけどね)。

 

 「これぞ作家性」というぐらいに過去作と類似する点が多い。満たされない女性、父と娘、孤独、センチメンタル、大きい家に小さい女性、共感してくれない周囲の人々、時代を超越した音楽センスなど、こんなに分かりやすく作家性を提供してくれる人いないよ。映画の教科書に載せるべきだよ。

 

 いつものソフィア・コッポラ作品と違って本作に嫌な感じが薄いのは(ファンの人がいたらごめんなさい)、実話ベースでかつ身内の話だからかな。確かニコラス・ケイジってリサ・プレスリーと結婚してたよね。これが完全にオリジナルだったら受け付けなかったけどね。ここ数年でアメリカで縁故主義が話題になっていたけど、そんな縁故主義の元祖的存在のソフィア・コッポラが身内に向けて、こういう映画を作ったのはけっこう面白く、ある種の縁故主義の中にいる人間のアンサーだと思う。ただ画面にシャネルの香水がドカーンと出てきたときはさすがに嫌味な気分になったけどね。

 

 バズ・ラーマンの『エルヴィス』の中でちょっとした触れられなかったプリシラの話をって感じで。ただ本作でプリシラが心の拠り所にしていたリサが去年お亡くなりになっているのを踏まえると少しやりきれない映画でもある。『エルヴィス』ではエルヴィスの私生活(女性関係)をだいぶマイルドに描いているぶん全体的にクリーンな映画だと思ったが、『プリシラ』ではプリシラの目線を通して、派手じゃないにしろ、エルヴィスという人間の欠点を描いている。少なくともエルヴィスはプリシラと出会う時から問題アリで、あの取り巻きがエルヴィスと引き合わせようとする一連の流れはグルーミングそのものだと思う(ちょっと松本人志を思い出した)。それに未成年のプリシラと付き合っているって現代の目線から見るとアウトだなって思うし。付き合ってからもハラスメントの連続で(もちろん愛を感じていた時間もあっただろうが)、プリシラはエルヴィスの好みに変化させられ、まるで人形だ。

 

 アメリカの理想カップルは実はこんな問題がありましたよ(特に男性の方が)、現代の目線で見るとこんなんですよと言っているようだ。アメリカというのはケネディ大統領とジャクリーン(もちろん歴代の大統領とその夫人カップル)、アンジェリーナ・ジョリーとブラット・ピット、みたいな有名カップルを讃えて、そしてその裏話を想像するのが大好きだ。2024年でどれだけジャクリーンがケネディに泣かされていたかをみんな知っているし、アンジーとブラピが離婚裁判をしているというのに、未だにアメリカ人は理想のカップルを欲しているし、讃えたいと思っている(最近だとテイラー・スウィフトがその役目を自ら買って出ている)。そのカップルを理想とする幻想を風刺しているのが『プリシラ』なのかもしれない。

 

 あとどうしても『ジャッキー ファーストレディ 最後の使命』『スペンサー ダイアナの決意』『ブロンド』など大きい部屋に女性が一人いて、それをロングショットで撮るみたいな映画の元祖って何ですかね。こないだ観たトッド・ヘインズの『S A F E』もそういう撮り方をしてたのですが、まさか『S A F E』じゃないよね。『サンセット大通り』じゃないかと思っているのですが。あと大きい部屋に女性が一人という映画はおのずと話が似てくるね。

 

 

『貴公子』

 

『貴公子』 (The Childe) [2023年韓国]


フィリピンで暮らす貧しい青年マルコは病気の母のため、地下格闘で日銭を稼いでいた。ある日、マルコはこれまで一度も会ったことのない韓国人の父が自分を捜していると聞き、韓国へ向けて旅立つ。マルコは飛行機の機内で、自らを「友達(チング)」と呼ぶ怪しい男「貴公子」と出会う。美しい顔立ちで不気味に笑う貴公子に恐怖を感じて逃げ出すマルコだったが、執拗に追われ徐々に追い詰められていく。監督はパク・フンジョン。出演はキム・ソンホ(貴公子)、カン・テジュ(マルコ)、キム・ガンウ(ハン)ほか。

 

 『THE WITCH/魔女』シリーズを監督しているパク・フンジョンということだけあって、話とかスタイルが似てる。森の中の一軒家で戦うとか、それこそ森の中での戦いとかドライブシーンとか似てる。話も"運命づけられた子"を殺しに来るというテーマも似てる。ただ『THE WITCH/魔女』はどこか超能力バトルみたいな側面があったが。本作ではそれと違って結構リアルなアクションだった。

 

 正直フィリピンでのシーン(40分~50分くらい)は本当に退屈で、それからマルコが韓国に行って、貴公子がマルコを殺そう(=守ろう)とするシーンも、観客とマルコはよく分からないうえに恐怖のシーンが連続するのでつまらない。ただマルコがなぜ韓国に来たのかを伝えられたシーンから徐々に面白くなるが、ここですでに女性時間が1時間超えているので、もっと早くマルコの正体を明かせず気だったんのでは。なんか長くてまったりとしていて、このシーンやたら長くない?と思うことが多かった。まあ男性を色っぽく撮りたいのは分かるんだけど。

 

 ラスト20分で貴公子の正体が明かされるのはとても面白くて、本当に同じ映画なのかと思うくらいトーンも画面も明るくなる。もうこのトーンでまるまる一本作れば良かったのにね、勿体無い(今年観た『ジェントルマン』もこんな感じだったが、韓国映画内の流行かも)。

 

 まあメッセージは面白くて、血の通ったきょうだいより(本当は違うけど)、よく分からない友達の方が良いでしょっていうオチでまあロマンチックな映画だ。「殺したい=守りたい」みたいな、ちょっと昔のサスペンスに出てくる同性愛的欲望(ステレオタイプだけど)を描いているようにも見えて、古典的な作品なのかもしれない。

 

『パリ・ブレスト~夢をかなえたスイーツ~』

 

『パリ・ブレスト~夢をかなえたスイーツ~』 (AA la belle etoile) [2023年フランス]

 

母親に育児放棄され、過酷な環境で暮らす少年ヤジッド。そんな彼にとって唯一の楽しみは、里親の家で団らんしながら食べる手作りスイーツで、いつしか自分も最高のパティシエになることを夢見るように。やがて児童養護施設で暮らし始めたヤジッドは、パリの高級レストランに見習いとして雇ってもらうチャンスを自らつかみ取る。田舎町エペルネから180キロ離れたパリへ通い、時には野宿もしながら必死に学び続けるヤジッド。偉大なパティシエたちに従事し、厳しくも愛のある先輩や心を許せる仲間に囲まれて充実した日々を送るが、嫉妬した同僚の策略によって仕事を失ってしまう。監督はセバスチャン・テュラール。出演はリアド・ベライシュ(ヤジッド)ほか。

 

 ヤジッドの職場の先輩として、日本人のサトミ(源利華)が出てくる。シェフとして厳しくもあるが、同じ移民のルーツがあるヤジッドに何かと世話を焼いてくれる、奥行きのある人物として描かれている。正直言うと、フランス映画にアジア系女性のまともな描写を期待していなかったので、驚いた。

 

 ヤジッドの実親が政府に頼れず人生が立ち行かなくなる移民女性として、どうしても息子に依存し里親に当たり散らしてしまうあたり非常にリアルだ。ただ本作は実親のケアもしっかり描いている。特に里親が実親をケアしている姿とかの支援をしっかり描いていると思う(同じくフランス映画の『1640日の家族』と類似している。2つとも母子映画だと思う。) フランスの子ども福祉は家族の形にこだわるんだなと。

 

 ヤジッドが実親に依存されて、何度もそれを突っぱねて、どこかで距離を取れて、何かしらの愛情を返せる(本作では手作りブレスト)のは、しっかり里親や先生たちに愛されて支えられた経験があるからだ。知らずにそれがしっかりヤジッドの力になっている(あんなに何度も職場を変えてもそこで頑張れるのはその力があるかららだ)。ケアがエンパワーメントに繋がることを非常に真摯に描いている作品だ。

 

 ラストの氷像でワシじゃなくて翼の生えた女性象を作ったのは非常に意味のあるシーンで、男性の象徴であるワシを否定している。そもそもヤジッドは全然マッチョじゃないというか。友達が「女は」みたいな話をすると意図的に話をそらしたりするし。ああいう会話を嘘でもしたくない人なのだろう(エンドロールでご本人の写真が出てきましたが、非常に優しそうな人だった)。ヤジッドは誰かと付き合いたいみたいなこともなさそうで、そこが非常に観やすいのも私が本作で感動した理由かもしれない。

 

 あとこういう移民とかの映画の主人公ってほとんど男性だし、行く先が良い悪い関係なく、成功しているパターンが多い。男性は家族の世話とか押し付けられないからだろうな。

 

午前十時の映画祭14『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』

 

午前十時の映画祭14『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』 (Indiana Jones and the Temple of Doom) [1984アメリカ]

 

前作より1年前の1935年。上海のナイトクラブでマフィアとトラブルになったインディは、クラブの歌姫ウィリーと現地の少年ショーティを連れて逃亡するが、飛行機が墜落しインドの山奥に不時着してしまう。寂れた村に辿り着いた彼らは、この村の子どもたちが邪教集団にさらわれ、村の秘宝「サンカラストーン」も奪われたことを知る。奪還を依頼されたインディたちは、邪教集団の根城であるパンコット宮殿へと向かう。監督はスティーブン・スピルバーグ。出演はハリソン・フォード(インディアナ・ジョーンズ)、ケイト・キャプショー(ウィリー)、キー・フォィ・クァン(ショート)ほか。

 

 219席ある会場に私を含め観客が6人ほど...初日でだよ...やっぱりTOHOが良くないんじゃないの。スティーブン・スピルバーグは本作があまり好きじゃないそうですが、私は大好きですよ。

 

 2作目だけど時系列としては『レイダース/失われたアーク≪聖櫃≫』より1年ほど前らしい。冒頭ですでにヌルハチ盗みをしていて、それで金を稼いでいるようで、「博物館に寄贈すべき」みたいなキャラクターアークどこにいったんだと思う。一方であのヌルハチって満州王国の初代皇帝らしいし、あれは日本軍から盗んできたんだろうね。その過程でショートと出会ったんだと考えると感慨深いものがあるな。

 

 『レイダース/失われたアーク≪聖櫃≫』と『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』と違ってストーリーが独立しており、「聖なる務め」(白人の救世主)としてのインディ・ジョーンズとして、かなり娯楽に寄った作品になっていてかなり面白い。『レイダース/失われたアーク≪聖櫃≫』よりエキゾチックで、大変罪な映画だけど面白い。宮殿の食事シーンなんて面白いけど酷いよね。ケイト・キャプショーとキー・フォイ・クァンのコメディリリーフな演技は最高だ。ただタギー教の儀式や支配を悪く描いて、ラストの子どもの解放シーンを感動にしているのを見てると、本作は本当に救世主の話なんだろう。

 

 それより『レイダース/失われたアーク≪聖櫃≫』のマリオンより女性の描き方が後退したなと感じる一方で、ケイト・キャプショー演じるウィリーが本作の笑える部分の大部分を担っているので、どう考えても彼女の功績が大きい。ただハードボイルドでかっこいいインディと圧倒的高感度のショートと比べると足手まといに見えて少し可哀そうな役だ。ケイト・キャプショー、確かスピルバーグ監督のパートナーですよね。

 

 タギーの儀式の気味悪さは大画面で観るとより感じる。あの煽る演出って今もインドの大作映画でよく見るけど、ああいう演出ってドイツのサイレント映画から影響を受けているのかな。少なくともスピルバーグ監督は『メトロポリス』みたいなサイレント映画を作ろうとしていたのは伝わる。ぜひ本作もサイレントで観直して欲しい。儀式のシーンなんてセリフ無しで観てもしっかり怖いと思う、それくらい巧みな演出。プロパガンダとか絶対作っちゃダメだよ。

 

 インディが闇落ちした時の気味悪さも相変わらずで、子どもの時このシーンで挫折して観るのをやめたっけな。それもハリソン・フォードの演技が上手いからだ。それにトロッコのシーンも面白いし、わざわざトロッコを作るとか情熱が凄い。あの流れも完璧で、トロッコを足で止める、足が熱くなって「水」って言う、そしたら大量の水が来る、っていう一連の流れが巧みすぎる。

 

 そう言えば『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』後の本作なので、やはり去年公開されたインディ・ジョーンズの新作にショート・ランドが出てこなかったの、だいぶ惜しい。今すぐ6作目を作ってショートにインディの帽子を継承させるべきだ。

 

『アイアンクロー』

 

『アイアンクロー』 (The Iron Claw) [2023年アメリカ]

 

1980年代初頭、元AWA世界ヘビー級王者のフリッツ・フォン・エリックに育てられたケビン、デビッド、ケリー、マイクの兄弟は、父の教えに従いプロレスラーとしてデビューし、プロレス界の頂点を目指していた。しかし、世界ヘビー級王座戦への指名を受けた三男のデビッドが、日本でのプロレスツアー中に急死したことを皮切りに、フォン・エリック家は次々と悲劇に見舞われ、いつしか「呪われた一家」と呼ばれるようになっていく。監督&脚本はショーン・ダーキン。出演はザック・エフロン(ケビン)、ハリス・ディキンソン(デヴィッド)、ジェレミー・アレン・ホワイト(ケリー)、スタンリー・シモンズ(マイク)、ホルト・マッキャラニー(フリッツ)、モーラ・ティアニー(ドリス)、リリー・ジェームズ(パム)ほか。

 

 映画では5兄弟と設定だが、本当は6兄弟で末っ子の男の子がいたらしく、彼も自殺したらしい...映画より実際の現実が不幸ってやりきれないよ。辛すぎる。監督が実話より映画の方をマイルドにした気持ちはすごく理解できる。

 

 ラストのケビン以外の4兄弟が天国らしき場所で再会するシーン。冒頭のケビンがジョギングしてた場所と同じで、あれはこれから一人で走って生きていけなければならなくなるケビンの人生の隠喩だったんだね。映画の冒頭とラストが重なる大事なシーンだった。天国の景色、あれは母親ドリスの頭の中のこうなっていて欲しい情景、描ていた絵の中だろうね、ラストに絵を描いていたし(文字通りの映像化でありああいうのは映画の強みだ)。母親ドリスは信仰で息子たちを守っていたというケビンの冒頭のナレーションがここでもしっかり回収されている。天国っていうのは、希望としての信仰であるということが示される宗教映画でもあるなと。

 

 全体的に凄く良い映画で、撮影も凝っている。プロレスに全く詳しくない私でも、プロレスシーンは興奮した。もちろん役者たちの演技は言うまでもない。特にザック・エフロンの表情だけで見せるシーンの連続に感動したよ。家族を通して田舎(時に校外)の80年代を撮るという面では監督の前作である『不都合な理想の夫婦』に似てる。前作はロングショットを多用していたが、本作ではプロレスのシーンでそれが垣間見れるも、実在の人物がモデルなためか、ケビンの視線を中心に据えていた。

 

 あんまり触れたくないのだけど、父エリックが本当に嫌な奴で、一番ヤバいのは子ども達に「Yeah Sir」って言わせているところだ(残念だけど日本語字幕だとこのニュアンスが上手に伝わらない)。銃に固執していて、周囲の人間を徹頭徹尾支配したいと思っている人間って確実に共通項があるなと(『プリシラ』のエルヴィス・プレスリーもそうだったが)。結婚式で妻ドリスが「もう妊娠の心配がないしね」なんて冗談で言うんだけど、あの冗談一つとってもエリックの妊娠観というか子どもに対する考え方が分かる。セリフ一つ一つに父エリックの毒っ気を潜ませる巧みさがある映画でもある。

 

 話の内容も父と息子大好きなアメリカで受けそうな内容だが、ケビンの息子たちの「僕たちもよく泣くよ」というセリフにあるように男性の禁欲的なジェンダー問題を描いている(まあこれもよくある題材ですが)。本当にアメリカは父と息子の話が好きなんだ。あとレスラーに限った話じゃないけど、80年代の業界人の体制の問題も指摘していたと思うし、兄弟たちの死に間接的に関与している業界も悪いしね。今は80年代よりよくなっていると思いたいよ。

 

『パスト ライヴス/再会』

 

『パスト ライヴス/再会』 (Past Lives) [2023年アメリカ・韓国]

 

韓国・ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソンは、互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。12年後、24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいた2人は、オンラインで再会を果たすが、互いを思い合っていながらも再びすれ違ってしまう。そして12年後の36歳、ノラは作家のアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れ、2人はやっとめぐり合うのだが……。監督&脚本はセリーヌ・ソン。出演はグレタ・リー(ノラ)、ユ・テオ(ヘソン)、ジョン・マガロ(アーサー)ほか。

 

 『フェアウェル』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』『アフター・ヤン』『ミナリ』に続くA24が製作&配給するアジア系(韓国系アメリカ人女性)がメインの映画である。セリーヌ・ソン監督自身(女性)の経験が元になっていて非常に個人的なお話でもある。韓国の製作会社が関わっているだけあって、韓国内のシーンも丁寧に撮られている。それなのにこの空間には韓国人、韓国語、韓国的な物事しか映らないシーンも沢山あるのに、しっかりアメリカ映画でそこが感心した。どこかで見た景色や目新しさの融合や使い分けが非常に巧みだ。こういう映画をこれからもA24には製作&配給して欲しいと思う。

 

 ノラとヘソンの関係が、例え言葉が存在しない、でも大切ということで"縁"とか"前世"という言葉を使って何とか理解しようとするのがテーマなのかな。監督は"縁"をあきらめとか繋ぎとめておきたい何かとか、けっこうロマンチックに捉えているのだろう。私は"縁"を酷なモノと捉えているのだが、これは同じアジア系というより住んでいる場の違いによる文化の捉え方の違いだなと(まあ日本に住んでいても縁をロマンチックに捉える人は多いだろう)。

 

 派手な感情の演出を控えめにした王道のメロドラマというか、女性映画を移民でかつ女性である監督による再解釈という側面が大きい映画なのかなと。撮影も演出も"ゆらぎ"を意識しているというか、ノラの心の変化を捉えようとしている(それゆえ地味な映画だ)。ノラとヘソンの間にはいつも何か障害があるように観客に想像させたり、実際に物理的なその障害が映ってたりと(同じく"違い"に着目したメロドラマ『天はすべて許し給う』(ダグラス・サーク、1955)との共通点)、1人の女性を通して2人の男性を見る。"ゆらぐ"対象としての男性が2人出てくるので、おのずと男性がよく喋る映画でもあった(『麗しのサブリナ』(ビリー・ワイルダー、1954)との共通点)。

 

 女性がある男性に出会って、少し日常を逸脱して、色々あって結婚した男性の元に戻ってきて、愛を再確認するというのも、どこかヘイズコードの下で作られた女性映画のようだ(最近の作品で比較すると『ブルックリン』(ジョン・クローリー、2015)とも比較できる)。王道のメロドラマの再解釈だと思うが、これが今のアメリカでは珍しく捉えられたのも、今のアメリカがメロドラマを軽視しているからだろうな(かつてはメロドラマの大国だったのに)。

 

 アメリカで広く受け入れられて、アカデミー賞でも作品賞にノミネートされたのも画期的だと思われているが、よく考えればけっこう当然と言えば当然だと思う。けっこう男性がよく喋る映画だし、アーサーやヘソンの2人の男性も悪く描かれていないし(これが一番大きい!)、アカデミー賞に好かれる要素はけっこうある。A24が製作しているのも大きいだろうけど。まあ結局『バービー』『落下の解剖学』『哀れなるものたち』も、男性がよく喋らないといけない的なヘイズコードならぬオスカーコードでもあるのかね。トッド・ヘインズの反抗的なメロドラマが大好きな私にとっては、ちょっと納得がいかないオスカーのノミネート選考要素があるなと本作を観ながら思っていましたが、本作自体はとても良い映画だったと思う。